資本主義と言う名の偶像(アイドル声優)

テレビでたまたま"資本主義"についての番組をやっていた。ナレーションはやくしまるえつこさん。多少興味をもって見続けていたら結局、最後まで見てしまった。為になることをたくさんいっていたのだがそれは説明しきれない。番組の要点だけをまとめると、


  • 物の価値は周りの人間によって決まっていく。


  • 『見えざる手』は存在しない。


  • 人はお金が絡むと、自分が好きなものよりも、他人が何を選ぶかを気にするようになる。

これは日本を含む資本主義国にとっては常識として持っている事ではないだろうかと思う。確かに学校の現代社会の授業では必ずと言っていいほど『見えざる手』についての学習があり、それが幻想だというのは意外と言えば意外だが、殆どの人はそれを実感として持った人がいるとは思えない。だからそれが幻想だと言われても驚きとしては余り大きくはなかった。それ意外の事も『常識』として刷り込まれていることばかりだ。

一見なんの関係もないように見える2つの話題。ではこの記事にどうして"声優"というカテゴリーを追加したのか。

それは最近ネット等でよく言われる『声優がアイドル化している』という意見が多くなってきたこと、そして『アイドル』という売り方は正に資本主義経済でこその産物だからだ。『アイドル』は"偶像"と訳される。それは消費者のイメージや価値観によって価値や姿を変えていく。それは周りの人間(視聴者)によって価値が決められているということだ。

だから資本主義の経済循環がどういうものかを知りたいならアイドルを見るのが一番だと思う。そして今一番アイドルとしての売り方に熱を入れているのが、

    声優業界である。


それは男女両方で進んでいる。この流れは止めることは出来ないだろう。何故なら求めている数(需要)が膨大だからだ。これがいい流れか悪い流れかを判断するのは個人個人の自由だ。しかし一つだけ確実に言えることは

声優は役者に留まることを最早許されていないということだ。


その目は何を見ているのか?

上田麗奈さんのグループを作った記念にこのブログを書いてみた。

ここでは上田麗奈さんの「孤独」に注目している。

 
【ハーモニー】映画予告

 
 
   ◯何故「上田麗奈」なのか。

昨今、さまざまな声優さんが日々力を競いあっている。その中で生き残るのに必要だと言われているのが"声優自身の魅力"。魅力は人それぞれだが、女性声優の場合はファンとそれ以外の感じ方がかなりかけ離れている。

そのなかで個人的には彼女がどうなるのかが非常に興味がある。何故にそう思ったのか自問自答をしてみた。
 
そしてたどり着いた一つの考えは、彼女が知らない間に、常に演じ続けているからではないだろうか。こう思ったのは『ハーモニー』の御冷ミァハを見たときである。監督のなかむらたかしさんは上田さんをこう評している。
 
「ミァハは難しい。声の感じが浮かぶようで、浮かばない。上田さんは少しイッている感じ、壊れているところがあり、推薦した」

ここでは演技についていっているわけではないので恐らくはサンプルボイス等で決めたと思われる。もしそうだとするならば、上田さんは素の声で既に凡人には理解不能なところが感じられたと言うことではないだろうか? 

実際、映画を観てみると、本人は演技を殆どしていないように見える。恐らく演じたキャラの中で最も地声に近いかもしれない。しかしそれは演技をしていないという事ではない。別のインタビューでは、キャラクターが何を見ているのかを考えた上で、自らの声を大切にすることを心がけているように見えた。(映画についてはキャラよりもメインストーリーの展開に重点を置いており、特にキァンが好きな人はオススメ出来ない)

これはどの声優にも当てはまるような事ではない。今現在、若手女性声優を牽引している早見沙織さんや、東山奈央さんにもないれっきとした長所ではなかろうか。二人とも演技も上手く、声も魅力的な声優さんである。それでも自分が理解できないキャラクターを演じるときには『演技』をしなくてはいけない。それをやり過ぎると妙な違和感を感じさせてしまう。何故なら声優を含める演者全般は、周りに伝わるようにすると同時に、自分もそれを演じているという暗示をかけている。そして往々にして自分が満足するレベルまで突き詰めると、逆に周りにはくどく感じさせてしまう人がいるものだからだ。それを上田さんは殆ど独りよがりの演技をすることなくこなしたのである。

今現在、音声技術の発達により、声優の存在意義に疑問符が付き始めている。それを克服するには演技を磨くのが一番だが、それは人によって感じ方もかわる。だからこそ声質や演技だけではない別のなにかが必要なのかもと思うのだ。

彼女は恐らく物語のヒロインに抜擢されるチャンスは少ないかもしれない。しかし物語の鍵になる人物を演じる女性声優さんとして彼女はとても大きな役割を担っている。凡人や主人公がおじけずいてしまうくらいの底に秘めた凶器をもつボスとして活躍してほしいと思ってしまうのである。

ディストピアとはどのようなモノなのか?

"ディストピア"という言葉は二次創作においてとてもよく出てくる単語だと思う。

この言葉は俗に暗黒郷と訳されることが多い。自分も小説を書いてるからわかるのだがディストピアを舞台にすると話の展開が作りやすくなる。

ではディストピアとはどんなものなのだろうか?まずディストピアには2つの種類があると考えている。"見えているディストピア"と"見えないディストピア"だ。これを一つずつ説明したいと思う。


○見えているディストピアについて
このタイプは外部の人間にも分かりやすく、
視聴者や作中のキャラクターの殆どが自らの世界をディストピアだと認識している。アニメでは"ブラック・ブレッド"の世界観に当たる。

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この作品は特殊能力を持った女の子達がたくさん出てくる。その子達は一般市民から除け者にされ、公共サービスの対象にも外れている。警察などの治安組織にも睨まれている。市民は彼女達を不満の捌け口にすることによって自らの境遇から目をそらしている。その市民達も決して恵まれているわけではなく、ガストレアと呼ばれるモンスターに日々怯えながら不便な暮らしを強いられている。

この作品の世界で人々が抱いている心情を表すのは難しいが、敢えて纏めるとしたら「恐怖と怒り」だと思う。市民はガストレアやイニシエーター(ガストレア因子を持った女の子)に日々恐怖を抱きながら、彼女達を一人の人間として認めようとしている無能の政府に怒りを抱いている。現実では北朝鮮や前のソビエト連邦に当たる。これらの国々は外部の人間からも社会の仕組みが狂っているということが直ぐに分かる事も特徴である。このタイプはアニメ作品にも多く出てくる。社会への不満を分かりやすくする方が視聴者にカタルシスを与えやすくなるからである。



○見えないディストピアについて

このタイプのディストピアは外部の人間に
分かりにくく問題提議されにくい。アニメでは"魔法科高校の劣等生"の世界だと分かりやすいかもしれない

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この世界は魔法が技術として体系化された世界を描いている。要は魔法が現実の世界に応用されている世界ということである。主人公の住む日本は魔法技術立国として世界のトップクラスになっている。

....これだけ聞くととてもいい世界のように見えるかもしれない。それもこのディストピアの特徴である。設定を聞いただけではこの世界の歪みが分かりにくい。

作品中、この世界で魔法を使う人間の事を"魔法師"と呼ぶのだが、魔法師達の間では婚姻統制や選別が当たり前のように行われている。また日本の魔法教育機関の最高学府である魔法科高校の教師に当たる人材が不足しているために、平等な教育機会が与えられていない。また魔法技術の殆どを国の軍(この作品では魔法の殆どが軍事技術として開発されている)ではなくそれぞれの魔法家系が握っているために、軍事技術が共有化されず、汎用性を高めるための研究がおろそかにされている。

しかし何より問題なのは魔法を使う側の人間と使わない側の人間がお互いに争っていることである。作品中、魔法師は軍の要として華々しい活躍をするのだが、作品には魔法師が侮辱を受けるシーンも多々見られる。また魔法師側も普通の人々がどうして不満を持っているかを考えようとせず、デモ参加者に対する武力攻撃を行った。

このタイプのディストピアは「焦りと不安」が主に挙げられる。魔法師と一般市民の間には目に見えない確執が確かにある。イスラム教シーア派とスンニ派同士の争いとにているかもしれない。このディストピアには相手が何を考えているか分からないという不安感と自らの立場を守りたい、守らなければならないという焦りがある。

このタイプは前に比べて不満が表に出にくいために何も知らない人間にはディストピアかどうかの判断が付かない。しかしこのタイプは1度争いに火がついてしまうとどちらかが決定的なダメージを負うまで手がつけられなくなってしまう危険がある。


長くなってしまったが、もしディストピアにならないようにするにはお互いの立場を尊重し、理性を保つ事ではないだろうか?しかし今の人工知能ではそれを実現することは出来ない。結局、最も面倒な部分を解決するには人間としての善意や思いやりが必要なのかもしれない。