その目は何を見ているのか?

上田麗奈さんのグループを作った記念にこのブログを書いてみた。

ここでは上田麗奈さんの「孤独」に注目している。

 
【ハーモニー】映画予告

 
 
   ◯何故「上田麗奈」なのか。

昨今、さまざまな声優さんが日々力を競いあっている。その中で生き残るのに必要だと言われているのが"声優自身の魅力"。魅力は人それぞれだが、女性声優の場合はファンとそれ以外の感じ方がかなりかけ離れている。

そのなかで個人的には彼女がどうなるのかが非常に興味がある。何故にそう思ったのか自問自答をしてみた。
 
そしてたどり着いた一つの考えは、彼女が知らない間に、常に演じ続けているからではないだろうか。こう思ったのは『ハーモニー』の御冷ミァハを見たときである。監督のなかむらたかしさんは上田さんをこう評している。
 
「ミァハは難しい。声の感じが浮かぶようで、浮かばない。上田さんは少しイッている感じ、壊れているところがあり、推薦した」

ここでは演技についていっているわけではないので恐らくはサンプルボイス等で決めたと思われる。もしそうだとするならば、上田さんは素の声で既に凡人には理解不能なところが感じられたと言うことではないだろうか? 

実際、映画を観てみると、本人は演技を殆どしていないように見える。恐らく演じたキャラの中で最も地声に近いかもしれない。しかしそれは演技をしていないという事ではない。別のインタビューでは、キャラクターが何を見ているのかを考えた上で、自らの声を大切にすることを心がけているように見えた。(映画についてはキャラよりもメインストーリーの展開に重点を置いており、特にキァンが好きな人はオススメ出来ない)

これはどの声優にも当てはまるような事ではない。今現在、若手女性声優を牽引している早見沙織さんや、東山奈央さんにもないれっきとした長所ではなかろうか。二人とも演技も上手く、声も魅力的な声優さんである。それでも自分が理解できないキャラクターを演じるときには『演技』をしなくてはいけない。それをやり過ぎると妙な違和感を感じさせてしまう。何故なら声優を含める演者全般は、周りに伝わるようにすると同時に、自分もそれを演じているという暗示をかけている。そして往々にして自分が満足するレベルまで突き詰めると、逆に周りにはくどく感じさせてしまう人がいるものだからだ。それを上田さんは殆ど独りよがりの演技をすることなくこなしたのである。

今現在、音声技術の発達により、声優の存在意義に疑問符が付き始めている。それを克服するには演技を磨くのが一番だが、それは人によって感じ方もかわる。だからこそ声質や演技だけではない別のなにかが必要なのかもと思うのだ。

彼女は恐らく物語のヒロインに抜擢されるチャンスは少ないかもしれない。しかし物語の鍵になる人物を演じる女性声優さんとして彼女はとても大きな役割を担っている。凡人や主人公がおじけずいてしまうくらいの底に秘めた凶器をもつボスとして活躍してほしいと思ってしまうのである。