ソース、掛けるぅ?
......ソース違いです^^;
突然だが、他の人のブログを見ている時に気になることがあった。
それは、アニメのブログ記事内部の主張に沿ったソース(source:出典、資料)を明示していることが多く見られることだ。
勿論、他人様のことにブログでとやかくいう立場の人間にとって、その意見の根拠の提示は必要不可欠だろう。特に、相手に分かりやすく伝え、かつ納得してもらうためには寧ろなくてはならないものだ。
自分が違和感を感じるのは、自らのアニメを見たときの感想や感じたことの正しさを証明するためにソースを示す行為だ。
前述の行為との違いは、統計や出典の意図を歪めているかいないかにある。
相手に資料を提示するのは、一般的には自分の意見に一定の正当性を持たせるためだと思う。
分かりやすい例では、論文の書き方によく似ている。自分の見解を出し、それを証明する資料を提示し、そこから導き出される総論を纏める。
これが論文の流れであり、その中には、最初の見解とは違うことも多くある。
振り返ってアニメの感想や評論では如何だろうか?
アニメを見て、つまらない(もしくは面白い)ことを証明するために、売上や話題性などを持ってくることが多々ある。
でもこれは、自分の意見ありきでそれを反証する意見を封殺する意図は無いだろうか?
少なくとも、ソースはそのためにあるものでは無いと思う。
ソースはあくまで、一つのカテゴリーを数値化したものだ。多くのソースを集めれば、良い部分も悪い部分もある。
だが、アニメの感想においては恣意的にソースを選んで、自分の意見の正当化を図っている場面が多いと感じる。
売上を元にし、それが自らの意思と違えば話題性を元にし、それも違えば、脚本の矛盾さを元に......
と自分の納得のいくまで引っ張ることも多い。
それをするくらいなら、ソースを明示しないで自分の感じたことを細かく、素直に書く方がアニメの評価として信頼性が高くなるものになっていく気がする。
そもそも、つまらないor面白いの二元論に囚われることが間違いだ。部分部分で面白い所もつまらない所もあるのが殆どのアニメの共通項だ。
それを、ソースという公平性を担保するものを自論の暴力装置にしてはいけない。